2011年5月4日水曜日

越後〜弘前〜角館 【其の一】御館

20:00 Posted by たか No comments
2011.5
GWを利用して、折りたたみ自転車を担いで、桜と城を巡ってきました。

2010年の9月に、鮫ヶ尾城に登った際に、本丸に数本の桜の木を見かけたので
「ああ、春になったら、さぞかし綺麗だろうなあ…」と思い、いろいろ調べていったところ、鮫ヶ尾城の麓の勝福寺で、上杉三郎景虎公の法要が4/29に毎年行われている。という事を知り、「じゃあ、合わせて行ってみようか。」と思い立ったのがきっかけです。

2011年3月11日の震災があり、法要は内々でと(当時は、行いませんというアナウンスでしたが)いうことと、本丸の桜が遅れていて、4/29に間に合いそうも無いという事を「斐太・歴史の里より」さまで教えていただき、5月の4日から二泊四日で、鮫ヶ尾城を含め、北の方をぐるりと巡ってきました。

ちょっと、無理した感は否めなませんでしたが、本人は非常に楽しかった旅です。



ということで、まずは初日の越後から。








折りたたみ自転車を担いで自宅を出て、新幹線〜在来線を移動する事X時間、直江津に到着。
とりあえず、この日の宿、α-1に。チェックインを済ませ、城巡りには不要な荷物を預けて、いざ出発。

目指すは、前回時間切れでいけなかった、御館。
天地人のおかげで説明も不要になりかけの、上杉謙信没後におこった後継者争いの舞台になった場所です。

実は私は、天地人で上杉三郎を演じていた玉山さんのファンでして、放映当時も見ていたのですが(御館まで…)なにせ、当時ひどいひどい言われていた脚本および演出(笑)に、45分間イライラしながら見ていた為、内容はさっぱり(笑)
これではいかんと、X年前に上杉、武田、北條に嵌っていた際に集めた資料の残骸を見るも、いかんせん古過ぎて参考にならないと、前回の登城から一念発起して、天地人を頑張って観て、ちょこーっとだけお勉強しました。(本当にちょこっと)

元来た道を戻って、案内板。若干木の影に隠れるのですが、見落とすとは…。
ちょうど、パチンコ屋さんがあるので、そこを曲がる感じになります。

住宅地を通るため「本当にこっちで良いのか?」と言う気分になりつつも、到着。

事前に「普通になんにもない公園」と聞いていましたが…

公園でした。

でも、八重桜が満開。

天地人効果か、きちんと案内板がありました(レポサイトによっては、石碑しか無いと書いてあったので)

御館は、前関東管領・上杉憲政の館で、憲政が武田、北條からの攻撃にあい(メインは北條のようですが…)越後に逃れた際、上杉謙信が居館として造った場所だそうです。
案内板によれば、
「古い地籍図から、二重の堀に囲まれた東西250m、南北300mの大規模な館であったと考えられています。東京ドームの1.6倍の大きさでした。」
とあります。
御館公園自体は、主郭のおおよそ中央に位置していたようで、主郭は公園の6倍の大きさがあったとか。

結構広い公園です。(※管理人地元比)

案内板公園側。天地人の際に作られたのがわかる「直江兼続公」の解説…。
御館落城の際には、このあたり一帯が焼けたそうで、発掘物も武器だけでなく、御館に籠った武将の妻子のものと思われる櫛や簪なども。

案内板にあったので、信越本線から春日山城を。
肉眼だと、おおーって思ったのですが、カメラだとわからない…というか切れすぎ。

しかしですが、御館の主 前関東管領・上杉憲政ですが、北條氏康に攻められて越後に逃れた訳ですが、御館の乱の際に味方した上杉三郎景虎は、氏康の息子なんですよね。
普通だったら、自分を関東から追い出した(?)男の息子に味方するかなあ…とか。
もしかしたら、景虎が上杉の当主になったら、上杉-北條のラインが出来て、関東管領に戻れる…とか考えていたのか?
いずれにせよ、後継者と見なされていた二人の思惑以外にも各一門の思惑が絡んだ内乱だったんでしょう。

御館訪問の際には、是非ともこの場所からの春日山城を見てください。そして、春日山城の本丸から御館方面を…。距離感がリアルに感じられて、何とも言えない気分になります。

ということで、桜咲く御館を後にして、春日山城方面に向かいます。

(2012.05.14記)

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