2011年2月13日日曜日

関ヶ原~彦根~敦賀 其の四【敦賀】

18:00 Posted by たか No comments
 彦根で土産も購入して、時間を見れば、まだ15時前…

これは、敦賀に行けるのではないか…っ!


という事で、彦根駅へ。

偶然にも、敦賀にも行く特急がもうすぐ出るとのことで、ちゃっちゃと切符を購入して、乗車…。

ずーっと、琵琶湖の横を通って行くのですが、あまりにも長い間琵琶湖が見えるものだから
「これって海?」
と思ってしまう私。
きっと、海だと思った人も昔はいたはずだー!

長浜とかを経由しつつ(雪景色…沢山)無事に電車は敦賀に。
バスはどれだー!と、もさもさしていたら、バスが来たのでこれまた乗車。
まずは、一番目の目的地「敦賀山車会館」へ!





クラッシックな、敦賀市博物館。こちらは、良い感じの建物でしたが、あまりの時間のなさに、スルーしました(17時閉館)

博物館の看板の奥に敦賀山車会館があります。



どーんと、大谷吉継公の人形がお出迎えです。(ちょっと、恥ずかしくて写真はパス)

山車の保存等の為に、建設された会館ですが、奥の方にひっそりと大谷吉継資料室があります。

私の他に、もう一組居たのですが、閉館まで一時間切っていたので、係の人が、山車の説明とショートフィルムを先に~と、そちらに。

気比神社のお祭りなのだそうですが、歴史は古く織田信長公も見たとか。

豪商の人々が、競って山車を作って出したそうですが、今は残っているのは一桁。

維持費もかかるそうですが、山車を見て納得。

豪商の見栄もあるんでしょうね。刺繍の幕とかものすごいです。

山車の上には、武者人形が飾られて、戦国時代の一場面を表現しているとのこと。



でですね、係の人が、

「最近は歴女ブームというんですかね、関ヶ原~彦根~長浜~敦賀とここを最後にこられる若い女性が多いんですよ。」と…

一人で来ている私、いたたまれないw(そしてほぼほぼそのルートを来ている)

そして、やはり、石田三成と大谷吉継の山車が人気だそうです。


ショートフィルムを見た後に、資料室に。

ちんまりとした、資料室でした。残念だったのが、書状関係が殆どコピーだったこと。

��Hさんに、吉継さまへの恋文ノートというのがあるらしいから、書いてきなよ!と言われましたが、書きませんでした・・・よ)

まあ、敦賀自体には、あまり居なかったそうなので、資料の少なさは仕方ないのかな。と

お土産に、よっしーすとらっぷなるものがあったので、これまた閉館ギリギリの受付にお願いをしました所

最後の二個なんです(にっこり)

た、多分これから人気出るから!も、もっと作ってください!

Hさんへストラップと缶バッチをお土産に購入

発掘資料(現在進行中とのこと)もくださるということだったので、頂いたら

ステッカーとマグネットいりますか?

と、みっちー(石田三成)とよっしー(大谷吉継)なステッカーとマグネットを頂きました。(可愛いです)

あと、特別展の資料を買おうとしたら、博物館での取扱ということで、お隣に電話してくださったりと(なにせ閉館時間)いろいろしてくださいました。

資料を買いに、博物館に行ったら「領収書出しますね!」と言われたのですが・・・ 

何者に見えたんだろうか、私。

博物館の方は、見れなかったのですが、館員さんが「今度は是非見てくださいね」と声を掛けてくださいました。(また…行きます)



第一の目的地に別れを告げて、次の目的地「敦賀城」へ!

17時過ぎているので、日も落ち気味なので、がつがつと歩きます。





敦賀城跡です!

といっても、一国一城の取り決めの際に壊されてしまったということで、何にもありません。

敦賀西小学校の片隅に石碑があります。

一応、資料によれば、三重の天守を持つ城だったそうで、現在の結城町から三島の辺りが敷地だったよう。

海にもほどほどに近かったので、海運業でにぎわったのではないかなと思う様な街です(だから気比の大祭の山車もあんなに豪華だったのでしょうね。)



段々暗くなってきたので、大急ぎで真願寺に。







ガッツリと案内板が立っています。ここには、乾門の敷石があるそうなのですが…

雪積もっているのと、薄暗くて良く見えません。

ということで、断念。




すぐ側の用水路?(闇加川)は、お堀っぽいなあー。と思って、帰って調べたら、北堀の跡ではないかと言うことでした。

��来迎寺表門が敦賀城の裏門の移築、八幡神社に表門の敷石があるとのことでしたが、今回は断念…)



そして最後の目的地、永賞寺へ…

バスの路線から外れているので、猛スピードで歩きます。18時近かった…



見えてきた



永賞寺に到着…。

完全に日が落ちて、夕日の残りで撮影状態なので写真が酷くて申し訳ありません。

このお寺は、元は永昌寺といって、大谷吉継公が菩提寺と決めてこの場所に移したとかなんとか(オイ)







入って本堂の手前右手に大谷吉継公の供養塔と伝わる九輪の塔。

建立は、1609年と関ヶ原の戦いが終わった9年後とかなり古いものになります。

大きさとしては、かなり大きいです。三メートル近いのかな…

「こんな時間ですけど、来ました。」と、ご挨拶。





当たり前ですが、誰もいませんが、このお寺、ものすごく手入れがされていました。

今度は、ちゃんと明るい時間に…行きます…よ。



帰りも駅迄は徒歩。



気比神社も真っ暗です…



そういえば、駅前の通りに銀河鉄道999の銅像らしきものが何点もありました。バス停の絵柄も。


当日は、ちらほらくらいしか雪が降っていなかったのですが、山車会館の方が

「10日前くらいは、ものすごい雪で道路は交通留めになるし電車は止まるし、新聞はこないしで大変だったんですよー。」と仰っていました。

ある意味ラッキー。

そんなこんなで、無事に駅に到着し、ぼんやりと電車を待ってから、米原へ…

後は、来た新幹線に飛び乗り、帰ったのでありました。



Hさんからは、「行くとは思ったけど、本当に行ったのかい。」と言われましたとさ。



次は、気比のお祭りに行きたいなー。






より大きな地図で 2011.02 敦賀城 を表示

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