駅に到着の時点で私の記憶が正しければ、16時半は過ぎていた…。
とりあえず、観光案内の所で彦根城はどこかいなと確認
17時までらしいと書いてあったので、じゃあまあ明日の下見に行くかーとぽてぽてと行きました。
駅から彦根城までは、10分~15分程度という事なので、まあ間にあわないね。でも明日は佐和山城に登るし、行ける所はしっかり見ておこうじゃないの!とワシワシ歩く私。
しかし、駅からぐねぐねと曲がる曲がる。敵の侵入を防ぎまくりな曲がりっぷり…
空堀?
いろは松。ぐるっとお堀が続きます。
佐和口多聞櫓
お邪魔します!
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馬屋が無料特別公開中とのことで、お邪魔しました。広いです!
L字型の建物です。
どうやって馬を止めたのかとか、ちゃんと足元に糞尿を回収?する桶があったりとか。
琵琶湖八景なんですねぇ~。内堀もぐるーりと。
登り石垣…見つけられませんでした。
お堀を渡り、写真右側から入ってきました。門があったんじゃないかな。と思われる様な石垣…。(表門かな)
右手奥の建物が博物館、左手の建物が券売所…。あああ…ここから先は有料ですかぁぁ~
この時点で、時計は16時も残す所数分でしたが、係の人の「17時半で終了です~」の声に
の、のぼってやる~!!!
と登城する私でした。(おばかさん)
「博物館と玄宮園は入れませんよ。」と言われつつも、チケットを購入。
登り登り
まがりまがり
天秤櫓!
長浜城の大手門を移築したものとのこと
右の櫓の石積みは築城当初の「牛蒡(ごぼう)積み」
左の櫓の石積みは幕末に積み替えた切石の「落し積み」
天秤櫓をくぐって先に。
登るし、曲がるし。
どーん。本丸の石垣。
何故か、ここの石垣を真剣に撮影している人がいました。
太鼓門櫓の手前の鐘
鐘を右に曲がると太鼓門櫓
太鼓門櫓は、築城時に別の城の城門を縮小移築されたものという事です。
くぐると広い…元はどれだけ大きい城門だったのやら
もう何回くらい曲がったのか覚えていないけど、また曲がって…天守!
現存12天守の一つです。
まだ明るいうちに。
天守に入る前に、琵琶湖を…
撮影禁止の案内がなかったので、何枚か撮影したのですが、何せ暗い…(日没間際)ぶれるー。
大津城からの移築と言われているそうで、とにかく、階段が急!暗いし急だし寒いし人は殆どいないしw(この日最後に天守をでた見物客と思われ)
狭間
説明によれば、彦根城の狭間は外から見えない隠し狭間だとか。
中は余り広くはありません。
三階部分から、ぐるっとな。
太鼓門櫓の辺りから、西の丸方面までぐるぐるーっと
本当に 琵琶湖のほとりなんだなぁ!と、沈む日にぼんやりと。
左手のこんもりした山が佐和山
高欄があるのがわかるかと思うのですが、これは飾りなんでしょうねぇ…
琵琶湖側の、木が茂っている所が西の丸になります。
関ヶ原の戦いの後、この地に封された井伊家が築城。
最初は石田三成の居城の佐和山城に入ったのち、井伊直勝が徳川家康の命を受けて彦根城を作ったそうです。
関ヶ原にも近く、西国にも近いこのあたりは、守りの要だったんでしょう。歩いてみると、何度も曲がります真っ直ぐ進みません。天秤櫓の下は大堀切になっているので、天秤櫓の手前の橋が落ちていたら、櫓の石垣を登らないと本丸まで行き着かない・・・
しみじみしていたら、誰もいなくなりました(汗)
しかし、ここの階段は、急とかいうレベルではなかった。ぜひ体験してくださいw
西の丸です。広いです。
出曲輪に降りる所は通行禁止に。残念
西の丸から、天守
黒門側に降ります
降りていくと、奥側に井戸曲輪
曲がって降りて曲がって降りて…
途中、門らしき場所も
奥の白い看板のある場所が、黒門(暗くて見えない…)
黒門を出て、長い長い堀が続きます
堀をずーーーーっと行くと、玄宮園や楽々園などの庭園もありますが、時間終わりで入れず。
井伊大老の銅像などもありましたが、既に暗くて…
旧西郷屋敷長屋門を通り過ぎ(辺りは真っ暗…)
外堀にたどり着きました!
すでに日もとっぷりと暮れ、駅前の案内地図とiPhoneのGPSを頼りに再び駅前に戻る私でした…。さぶっ!
(ホテルにたどり着くのも迷いました…)
地図。
より大きな地図で 城攻め状況 を表示
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