2011年2月13日日曜日

関ヶ原~彦根~敦賀 其の三【佐和山城】

17:13 Posted by たか No comments
一夜明けて二日目。
さて、どんな天気?と窓の外を覗くと…
あれ?もしかして、雪が降ってた?
うっすら雪が積もっています…。




昨日の晩にコンビニで買ったおにぎりをもぐもぐし、ホテルをチェックアウトして、観光案内所へ。

「佐和山城へは、どう登るのが良いですか?」
「龍潭寺の脇から登るルートですね」
「国道側にハイキングコースがあると聞いたんですが。」
「龍潭寺の方からしか登れませんよ。」
惨敗。orz

仕方ないので、タクシー捕まえて龍潭寺まで(なぜなら、方向音痴で迷うから)
タクシーの運転手さんに、龍潭寺の話を聞きつつ到着。

龍潭寺、なかなか立派なお寺です。隣に清涼寺があります。
登城口がしばしわからず停止する私。
(簡単に迷子になれます)

とりあえず発見したので、出発です。







入ってすぐに、三成公の銅像とご対面。



渋いおじさまです。

余談ですが、天地人を見ていた知り合いが

「この銅像、小栗君モデルで作れば、もっと観光客が来るんじゃないの?」

と申しておりました…(いや、それ違う)





ずーっと奥に門が見えます。あの奥が龍潭寺です。

庭園とか有名ですよー。と運転手さんが教えてくださいましたが、今回はショートカットで。

お庭やらを通り抜けて、「この道でOK?」な所に入って行くと

お寺だけあって、お墓です。(流石に写真を撮るのはばかれました…)







上に行く迄は、こんな感じの細い道が続きます。しかも、下は急斜面。場所によっては,雪が積もっていたりw




弁天様から登るコースもある様です。雪の為、泥濘も…このあたりが、かもう坂通り往還でしょうか。




西の丸です。



龍潭寺から登ると、この塩硝櫓跡(火薬庫)が先になります。写真手前の丸いくぼみは、何で開いたのかよくわかっていないらしいです。



西の丸は、現在竹やぶになっています。踏み込むと流石に危険そうなので(雪で)止めました。



西の丸から本丸に向かう途中の土塁です。

なんかもう、後はひたすら黙々と登る感じでw

道は結構ぐねんぐねんとしていて、傾斜も急です。なにせ雪が残っているので、気を抜くと滑りました。(この日は、杖を持って行きましたが、正解でした…)




本丸見えてきたー!




本丸です。結構広いです。廃城にする時に18mほど掘り下げたらしいですね。



佐和山城から彦根城を望む…ってわかり難いですが。(奥の水平線の様なものは琵琶湖です)

佐和山城があった頃は、彦根城は築城されていませんので、現代じゃないと見れない風景・・・。





ぼけーっとしていたら、五人くらいの矍鑠としたおじさまとおばさまのグループが、ガイドさんに連れられて、やってきました。

よかった。他にも登る人が居た…けど、ものの十分もしないうちに元来た道を帰って行きました…。寂しい。

関ヶ原方面をみたり、琵琶湖をぼーっと眺めたりしてから、下山しました。

8号側に…(南口)




千貫井戸と石垣があるのです。

ちょいと急な(途中大きな石があります。)所をおりて、佐和山城に残る石垣に。



二つだけ残っています。廃城の折に徹底的に破壊されて、石垣が残っているのは、現在では、この箇所ともう一カ所(今回は見に行っていません)だけだそうです。

更におりて千貫井戸に向かいます。



写真では切れてしまいましたが、手前の方にも水が溜まっている感じの横に広い井戸です。

側には、小さな祠がありまして、見晴らしの良い所でした。

山城に井戸を確保するのは千貫にも値するということで付いた名前だそうです。

道…当時はちゃんとなっていたよね?というくらい、道がぼこぼこしていたり急でしたw(水こぼしちゃうよ!)



途中で、遭遇した案内板…。ちょっと酷くないかい?

道を行き過ぎてしまったらしく(というか、案内板が何もない。あっても倒れていて方向が謎)女郎谷には行き着けず。

もう良いやーと黙々と下山…

途中で「太鼓丸」という看板があったのですが、無惨にも倒れていまして・・・ 

いや、その横を「通行止め」って看板と、通行止めしてあったであろうロープが…



止めてないから、そのまま行くべ。



その前に、一応看板の倒れていた方向に進んでみました。



ぬぬう。何もありません。雪降ってきました。



大人しく元来た道を戻って、それらしき道を行きます。

��このあたりで、まったく案内がなくなったので、iPhoneのGPSを頼りに下りました。目指せ8号!)

もくもくと行ったら、あっけなく下りてしまいましてw

下りたら、ちゃんと看板ありましたよー!ハイキングコース!



看板見ていたら、石田ヤシキって書いてあったので、気になって戻ってみたり。



雪と薮で皆目検討付きませんよ!殿!



この上は、位置的に法華丸なのかな…とか。

とりあえず、観光案内の方が、龍潭寺から…と言っていた意味が分かりました…



すぐ側のトンネルには、三献の茶のモチーフが。(わかり難いですけど)



国道をぽてぽて歩いて、ちょっと離れた所から、佐和山城。(白いのは雪です)



当時の資料があまりなく、謎の多い城だそうですが、登りがいはありました。

行った時は、雪模様で見晴らしは余り良くなかったので、琵琶湖も霞み気味でしたし、米原方面もよく見えませんでした。残念



もう一回来て、今度はもう少し見やすい時に登りたいなぁ… と



そうそう、彦根の駅にですね。

戦国BASARAの三成の絵柄で「ようこそ佐和山へ」みたいなポスターが、ものすごい枚数貼ってあったのです。

うぬ…。是非とも、佐和山城の整備もお願い致しますー!


やっぱり、イベント時と紅葉の時期に行かないとダメなのかしら…



ということで、懲りない敦賀篇に続く。





より大きな地図で 城攻め状況 を表示

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