2011年5月4日水曜日

越後〜弘前〜角館 【其の四】春日山城:弐

20:30 Posted by たか No comments
越後〜弘前〜角館 【其の三】春日山城:壹の続きになります。

とりあえず、搦手まで進みました…が、まだまだ先は長い。
いよいよ、城内。
大河 天地人の主人公にもなった、直江兼続も住んだであろう直江屋敷へ向かいます。



いよいよ城内へっ!ということで、直江屋敷に向かいます。の前に虎口。
曲がりつつ、登っていく感じ(坂道クランク?)水色で動きを書いてみましたが…。


ここの虎口は、食い違い虎口。

登りつつ、かくかく曲がる。春日山城には、この手の登り口が多いです。
曲輪の裾?が角度があるので、登れない感じですので、この面倒くさい虎口を登らないと攻めることが出来ない…。

直江屋敷の第一歩。
直江屋敷は、三段構造になっているので、次のステージ(違)に行くには、奥に見える階段を登らなくてはいけません。
しかし、広い…。
二段目は省略して、三段目。石碑や案内板のある一番広い場所になります。

先ほどの、千貫門の側にあった階段に繋がっているのでしょうか。外側から上がる階段

直江屋敷さんの案内板。2パターン。
大きな案内板によれば、先ほどの使われてない道は、古道のようです。
(ところで、曲輪が正しいのか…郭が正しいのか…どちらなんでしょうか)
案内板の後の一段上がっているところに、門があったとか。

直江屋敷からの風景を、無理矢理パノラマ化。
見晴らしがとても良いです。

直江屋敷に別れを告げて、先を急ぎます。

 次にあるのが、お花畑。
 ついつい隅っこの方にまで行きたくなる。結構広い。
お花畑は、この上にある毘沙門堂に備える花であったり、薬草であったりを育てていたのではないかと言われているそうです。
初めて登ったときは、「え?こんなに土かったいのに?!」と思ってしまった…ダメな人。


本当は、毘沙門堂の先にある案内板なのですが、ここで位置関係を…。

お花畑を上がると、毘沙門堂です。
前回登城の記事にも書きましたが、位置は当時と違うそうです。

毘沙門堂の窓ガラスが一部無いのがわかりますでしょうか?
ちょうど、ここから中が覗ける形になっていて、中に納められている毘沙門天像が見れるんです。ここにカメラのレンズをつっこんで、撮影してる方も…。
わざと開けてあるのかは、謎です。

お堂の横に石碑が建っています。
「不識院」
説明がなにも無いのですが、謙信公が亡くなった後、春日山城内の 不識院に安置された言われているそうなので、ここなのかなと…。

 更に上がっていきます。一段高くなっています。
 手前の案内板には、護摩堂の説明。
 祈祷をした場所ですね。 毘沙門天とともに、真言密教も謙信公は信仰していたとのこと。

更に上がると、諏訪堂の石碑。
奥に見える石碑は、毘沙門堂跡の石碑。
このあたりは、宗教的空間だったのかもしれません。

そういえば、天知人では、謙信公が洞窟だかに籠って毘沙門天に…というシーンがありましたが、あれのせいで春日山城に洞窟があると思っている人がいらしたという話を聞いていたのですが、まさかそんなことはないだろー、と思っていたら、
「え?洞窟無いの?」と、関ヶ原に一緒に行った某さんに言われました…。
ナイヨー。

なかなか、本丸に行き着けないまま、今宵はここまでにしとうございます…。(古)

(2012.05.18記)



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