年が明けてしまいました…。風邪引きで一月を過ごすとは思いもよらずw
ということで、棒道オフな続き。
翌日の谷戸城について。
元々は平安時代に築城された城〜武田の城ということらしいのですが、天正壬午の乱の際には北条氏方が陣を構えたのではないか…というお城。
本丸を囲むように丸い形で各曲輪が配置されています。
道路一本挟んだ公園からみた感じ。
ちょうど ↑の看板の現在地の文字の辺りから撮っています。
あまり高さは無いお城です。
それでは、まずは大手から入りますー。
大手の手前には、結構立派な堀跡があります。(図の★1)
こちら側はしっかりとみれますが、道を挟んで反対側は、殆どわかりません。
北の空堀からぐるーっとさまよいつつ南空堀方面へ。
北の空堀付近。 そんなに深くはないです。なんか道っぽい(笑)
ちなみに左手側は、スコンと落ちています。そこそこの高さがありました。
こちらは、堀側から四の郭の土塁を見る感じ。
堀から上がるとまた少し下がって土塁がくるという微妙に二重な仕組み。
南竪堀に武田兵発見!
結構埋まってしまったのか、周囲が削れたのかそんなには深くないです。
南帯郭付近に集まる人々。
そこそこ広いのがわかります。そして、ずずずーいーっと長いです。
郭というか道っぽい感覚。
上に落ち葉がたまってしまっていてわかり難いのですが、土をがさがさ掘った部分と斜面側では足に伝わる感覚が違います。
西股さん曰く「恐らくは斜面側に土塁があったんじゃないか」とのこと。
なるほど、上がって来ても土塁で防げますね。
ずーっと、歩くと搦手方面に出ます。
ぐるっと歩いていますが、実は大手からまっすぐこれます。
ここは、ちょうど搦手手前の堀。
搦手虎口の方に降りようと思ったら、変な所を登ってしまい、降りられなくなるというハプニングw
そのまま、大手方面に進み本丸方面に。
さて、何の用途に使われたのかイマイチわからないらしい四の郭。
ぐるーっと低い土塁に囲まれている場所の一番本丸に近い所です。
四の郭のもっともわけがわからない(失礼)場所。そうそれは、この虎口。
なにも書いていないとどこが?という感じなので、書き足してみました。
手前のちょっと盛り上がった部分が虎口の土塁。
現状で、ふくらはぎくらいの高さしかありません。
進んだ先にある土塁が二の郭、三の郭の土塁です。
谷戸城の面白い所は、この郭は郭側に堀がある所ではないでしょうか。
整備した時に掘りすぎたのか、それとも盛りすぎたのか…発掘調査の結果だと堀底から橋の上まで(土橋)一メートルくらい。とあるのに、堀はそれ以上に深く、土塁は他よりも高い…という。
一応、二の郭、三の郭となっていますが、見る限り明確に別れていません。
ただ、二の郭側の方、少し斜めになっている部分があります。
古くからあるお城のはずなのに、なんか中途半端な印象をうける城です。
ようこそ!本丸へ!
谷戸城では、一の郭と書かれていますね。
正面に見えるのが虎口です。結構ストレートでなんのひねりも無い虎口。
そこそこ高い土塁に囲まれた郭になります。
実はもう一箇所、食い違い虎口があったのですが、実に腰掛けるのにいい高さだったので、皆の休憩所と化していて写真を撮るのを忘れましたw
発掘調査の結果、柵らしきものが立っていたのではないかとの見解。
さて、なんとなく中途半端な印象の谷戸城。
西股さん曰く「恐らくは鉄砲主流の戦にあわせて改修したのじゃないかな?」と!
わかりやすく、北側から四の郭あたりをぐるっと囲む低い土塁(これも殆ど膝高さ程度です)を例にとってみますと…↓こんな感じ!
カメラの位置は、土塁に肘をついて鉄砲を構えている状態の高さです。
ちょうど、ご一緒してくださった方が敵役を買ってでてくださったのですが、土塁から堀に潜む敵が見えるんですね。そして土塁方面まで緩やかな斜面になっているので、敵は登り難く、城方は鉄砲で狙いやすい。
二の郭の土塁の内側にある堀も、西股さんは「土塁ももっと低く掘りも浅かったはず」と。
わかりやすいのは、戦争ものの映像で塹壕に入って敵を撃つシーン。あんな感じで掘に入って土塁から敵を狙ったのではないだろうかと…。
ということは、天正壬午の乱の際に北条方が改修して使ったのでは!
戦の仕方によって、城の形も変わるんだなあ…と勉強になった城でした!
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